日本女性作曲家
(-明治、大正、昭和を通して-)
日本には女性の作曲家はいなかったのでしょうか?いえいえ、明治、大正,
昭和を通して気骨のある生き方をし、素晴らしい曲を書き残した人たちが
何人もいます。その中から、5人の女性作曲家の作品をとりあげてみました。
・松島 彜( 1890-1985 )
「おうまのおやこはなかよしこよし・・・・」の作曲家。
日本の女性作曲家のパイオニアで95歳まで作曲活動を続けた。その作品数は
1000曲以上に及ぶ。
・金井 喜久子( 1906-1986 )
沖縄県宮古島の出身で、一時、西洋音楽に傾倒するが、やがて沖縄音楽の美し
さに気づき、
沖縄民謡の旋律と素材を基調に置いた作品を手がけるようになっ
た。声楽曲だけでなく、
交響曲作品、舞台音楽、映画音楽など幅広いジャンル
で成功を収めた。
・吉田 隆子( 1910-1956 )
橋本国彦に学んだ後、エリック・サティに傾倒する。軍人の娘で西郷隆盛にあ
やかった名前をつけられたがこの名前を嫌い、
生涯反戦と女性解放を主張し続
けプロレタリア音楽に一生を捧げた。
映画評論家 飯島正は次兄、劇作家 久保栄は共同生活者。
・外山 道子( 1913 年生まれ)
大阪中之島の大富豪の家庭に生まれ、17歳でフランスに渡り、ピアノをH . ジ
ルマルシェックに、作曲をN.
ブランジェに学んだ。1937年パリの国際現
代音楽祭で日本人として初の国際コンクールでの入賞を果たした。
その後D . ミ
ヨー、O . メシアンに学ぶ。さらにコロンビア大学で電子音楽の作曲を手がけた。
・渡 鏡子( 1916-1974 )
東京出身で陸軍中将の娘として恵まれた環境に育つが、戦争によって生活が一
変する。戦後は多忙な執筆活動のため、
作曲活動が後手に回ってしまった。特
にチェコ音楽の研究者として名高い。1936年東京音楽学校本科作曲家の第
一期生として卒業。63年には「プラハの春音楽祭」に招かれた。
小林緑さんの編著『女性作曲家列伝』を読んだ時、こんなにすばらしい生き方
をした女性の作曲家の方々がおられたこ
とを知って、
嬉しい驚きを覚えました。
しばらくしてパリの日本文化会館で小林さんの企画による「日本女性作曲家と
タイユフェール」のコンサ
ートに数曲歌う機会を得ました。
彼女らの歌の世界をもっと知りたいと思い、現在は見つけることが困難な楽譜
がほとんどでしたが、
小林緑さん、辻浩美さん、金井弘志さんのご配慮で入手
することができ、今回のプログラムを作りました。
三人の方々に心から感謝い
たしております。
奈良 ゆみ
プログラム
松島 彜
真珠(武内俊子) 1943
しのぶれど〈平兼盛〉
春のあした(尾上柴舟) 1916
夕べの浜(尾上柴舟)
今年の春(ハイネ/尾上柴舟 訳)
Valse (piano solo)
金井 喜久子
「沖縄のうた」より
ハイビスカス
赤山
あの娘の後を
東西東西
「沖縄のわらべうた」より
宮古の子守唄
てんさぐの花
琉球舞踏曲 (piano solo)
吉田 隆子
君死にたまふことなかれ(与謝野晶子)
ポンチポンチの皿廻し(中村正常)
お百度詣(大塚楠緒子)
組曲「道」より 鍬(中野鈴子)
外山 道子
「やまとの声」より
祈り(万葉集)
山彦(古今集)
渡 鏡子
ある日海辺で(鶴見正夫)
ママの立ち話(柴野民三)
母上に(野長瀬正夫)
野原に寝る(萩原朔太郎)