奈良さんの素敵な歌


 Yumi Naraの名前を初めて知ったのは、輸入盤CDショップで見つけたマイナーレーベルのCDによってだった。シェーンベルク の『月に憑かれたピエロ』と『キャバレー・ソング集』というニクイ取り合わせ。

 あれ、日本人が歌ってるじゃないか、と驚いた。

 ドイツのキャバレーの歌が大好きな私は、このテのCDを見つけると必ず買う。でも、語りのセンスと芝居っ気をなによりも必要と するキャバレーの歌は、日本の「声楽家」がいちばん苦手とするものだ。そもそも、こうしたジャンルは日本では馴染みが薄い。あまり期待せずに買って帰って、聴いてみてビックリした。いいじゃないか、すごく! プロフィールを読むと、パリを本拠に活躍している人とある。うれしいじゃないか、ドイツもののカバレット・ソングを歌ってくれるなんて!! これは応援しなくては、と思った。

 奈良ゆみさんご本人と初めてお会いしたのは、5年くらい前だ。武蔵野市民文化会館の小ホールで、奈良さんがフランス歌曲のリサイタルをした際、このホールの運営委員の一人だった私が、司会と解説をさせていただいた。非常に意欲的なプログラムで、詩の言葉に豊かな情感とニュアンスを与える奈良さんの歌いぶりが、じつに見事だった。奈良さんの歌の尋常ならざる

 集中力が、ホールの聴衆にものり移って、すばらしい演奏会になった。この時以来、奈良さんの熱烈な讃美者たちの仲間に入れていただいて、こんにちに至っている。

 奈良さんは、鋭い演劇的センスと語りの技術を持った、つまり、ディゼーズdiseuse的な資質をそなえた、日本に数少ない女性歌手だ。このディゼーズというフランス語の名詞は、日本語にするのがむずかしい。とりあえず「語り歌手」、あるいは「キャバレー歌手」とでも訳しておこう。イヴェット・ギルベール、ダミア、ピアフ、グレコといった女性たちがディゼーズだ。もっとも最近 は、本家本元のフランスでは、シャンソニエという呼び方が一般的なようで、ディゼーズという言葉はあまり使われないらしい。むしろ、カバレットが盛んなドイツにおいて、この外来語がよく使われている。

 ディゼーズは、歌手である前に語りで勝負する。語りがそのまま歌になってゆく、というようなタイプの歌い手だ。ディゼーズにとっては、きれいに歌うとか上手に歌うといったことは、たいしたことではない。詩の言葉がリアルに息づく歌をうたうことこそが、ディゼーズの技だ。奈良さんは、そうしたディゼーズの志をもつ歌い手なのだ。2年前に出たCDアルバム『母の夢・・・』では、奈良さんはヨーロッパや日本の懐かしい歌の数々を、すごく素敵に歌っている。なぜ素敵になるかといえば、どの歌においても、ディゼーズ的な姿勢で、それぞれの歌の誕生の瞬間に立ち戻るかのような、瑞々しさがあるからだろう。そこでの奈良さんは、もう、ソプラノでもシャンソニエでもディゼーズでもない、ようするに、素敵な「歌う女」なのだ。ドイツびいきの私としては、いつか奈良さんが、ヴァイルやアイスラーのブレヒト・ソングとか、フリードリヒ・ホレンダーの洒落たキャバレー・ソングといったところを、いろいろ歌ってくださるのを、心から楽しみにしている。これからも素敵な歌をたくさん歌ってください。

ラ・プレイヤード会報20号より
2002年9月1日発行




 田辺秀樹(一橋大学教授、ドイツ文学)

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